こころのケアとは何?、本当に必要?

 

こころのケア”という言葉

東日本大震災の時からよく聞くようになりました。

 

こんな事を言って良いのか分かりませんが、

こころのケアとは何?

本当に必要なの?

テレビではこころのケアの必要性が言われているけど、
実際のところ本当に必要なのかな?と思ったのです。

ボランティア

というのも、
”被災者が本当に必要なもの”を調べていくと、
必要なものは意外にも現実的なものが多いのです。

逆に被災者がもらって困ったものの中に、
千羽鶴や寄せ書き、応援のメッセージなどが含まれているのです。

被災者は現実的なんだな~って思ったのです。

応援や心と言ったものよりも、
現実的な”何か?”を求めているって事なのです。

 

これも私の経験からも思う事ですが、
災害が起こってまずやらないといけないのが片づけなどで、
どうしてもや人手が必要だったのです。

だからこの時にボランティアの人が来て、
手伝ってくれた事は本当に助かっています。
(これは本音で思う事)

そしてその後にやることが家の修理など。

そうなると必要なものってお金だったのです。
(お金がないと家の修理ができないですから)

もしこの時にボランティアでこころのケアと称して
相談に乗りますと来られても逆にうざかったかもしれないのです。
(言葉が悪いですが…)

自分の体験を踏まえると、
やはり現実的に考えてしまうんですよね。

おそらく災害に直面すると、
現実を見るからなのかもしれませんが…。

 

そう思うと
”こころのケアは本当に必要なの?”と思ってしまうのです。

悩み・鬱
確かに中には鬱(うつ)になったりする人もいるそうなので、
必要な人には必要かもしれませんが…

ほとんどの人はそれどころではないのかもしれませんね。

食べ物、着る物、住む場所…生きるために必要なものを確保して
それから復興に頭がいっぱいなのかもしれません。

 

東日本大震災の時、避難所などには
ボランティアの人たちが次々にやってあふれかえったとも言われています。

中にはこころのケアと称し善意のつもりで来た人も多いと思います。

ボランティアの人からすると、
居ても立っても居られない気分なのだろうけど、

でも当の被災者、被災地では
”こころのケアはいりません”の張り紙がある場所もあったそうです。

言われてみれば分かる気がします。

相談に乗ると言われても、
正直言って話す事ってないしあまり深くまで話したくない。

実際にこのサイトを書いていても、
災害時の事を振り返って書いていると気持ち的に下がる事もあります。

話す事、書くことって意外に心がすっきするというよりも
逆に落ちる事もあるのかもしれないのです。

 

実は以前こんな話を聞いた事があります。

何人もの人が駅周辺で募金活動をしていた時の事…

集団で募金活動をしていたそうで、
その人は声を掛けたそうです。

「1日活動をしていくら集まったの?」

さすがに声を掛けた人は周りから冷たい視線を浴びたそうです。

ここで何が言いたいかというと、

仮に5人で1日(8時間)募金活動をして
4万円を超えなかったら5人で募金活動をする必要がないって事なのです。

 

5人で募金活動して4万を超えないって事は、

募金活動するのではなく、
5人が時給1,000円のところでアルバイトした方がよっぽど被災地にとっては良いって事です。
(5人で8時間アルバイトしたら4万円になるから)

 

寄付する側としては、

皆から集めた心のこもったお金かもしれないけど。


被災者からすると心がこもっている、

こもっていないは関係なく同じ4万円なのです。

 

だったら少しでも多い方が良いって事だそうです。

 

そう考えると、
本当に必要なものってなんだろう?と思ってしまいます。

ボランティアからすると、何かしてあげたい!
そんな善意の気持ちかもしれないけど、

でも被災者からすると気持ちよりも現実的な何かなのかもしれないんですよね。

例えば相談に乗るよりも、
体力に自信があるなら被災地に行って労働という面でボランティアをする。

例えば、片付けや清掃など…

そっちの方がよっぽど被災者にとっては嬉しいかもしれないんです。

 

キビシイ事を言えば、

何もできないなら被災地へ行くべきではない!”って事なのかもしれませんね。

 

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ページ上部へ戻る